子どもがいた校庭で暴走自動車@東京都多摩市立貝取小学校

 

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http://www.sanspo.com/geino/news/20170203/acc17020320500002-n1.html

3日午前11時5分ごろ、東京都多摩市貝取3丁目の市立貝取小で、軽ワゴン車が校門の門扉を倒すなどした上、校庭を暴走した。警視庁多摩中央署によると、校庭では当時、約50人の児童が授業を受けていたが、逃げたためけが人はなかった。


 軽ワゴン車は、貝取小に荷物を配達に来た70代の男性が運転していたが、校門を開けるために停車して降りた直後に無人のまま動きだした。多摩中央署はシフトレバーがドライブに入ったままだったとみて、男性から経緯を聴いている。
 男性は車を止めようと運転席に乗り込んだが、誤ってアクセルを踏み込んだとみられ、車は逆に加速。男性はその際に振り落とされ、肩などに軽いけがをした。車は約100メートル走ってポールにぶつかり停車した。
 同署によると、男性は「なぜ暴走したのかよく分からない」と話している。

多摩市立貝取小学校

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子どもの危険が回避できたから良かったと安堵を誰もがしたと思う。またこの場に居合わせた教員の判断と子どもたちへの声掛けがうまく行った結果である。危険回避がもしかしたら出来なく、子どもへの被害もあったとも考えられる怖さがあるので、ニュースを読み驚いてしまった。

ここ近年の話題の中で、高齢ドライバーの事故がニュースでよく取り上げられているが、これもひとつの高齢ドライバー特有の「分からない」という言葉が出てきているのが、事故の混乱からなのか高齢特有の物なのかは、捜査を行わないと分からないが、学校という多くの子ども達がいる中での事故は、初ではないかと思う。自分なりにはしっかりと操作をしていたのかも知れないが、車を停車させるだけの操作にはなっていなかったのかなと推測してしまったが、ご本人は、相当なショックを受けている事には違いないと思うが、70代という年齢は、どうしてもそうなってしまうのかという目で見てしまうのは、仕方ないのだろうか。社会的に、高齢者が車を必要としている環境が沢山ある以上、高齢ドライバーばかりに非難を向けるのも少しばかりおかしいのかなと思う。

東京都の多摩市と言えば、サンリオピューロランドがありキティーちゃんで有名な場所ではあるが、一歩離れてしまえば、勾配のある地形により多摩市全体が賑やかな同じ雰囲気を持つ地域ではないとみる事が出来ると思うが、大型マンションが年々増加をしていたりと、人口もそこそこ増えて行く中でも公共交通機関に対し、本当に手厚いものなのかは、疑問の声があるようなのでしっかりとマンションを購入する若い世代だけに身をやるのではなく、昔から住んで街を支えてきた高齢の方々に対して目を向けていければいいのではないかと思う。

死ねという意味だけがデスノートではないのか?@福島県田村市の小学校

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http://www.oricon.co.jp/article/91073/


小学校講師、児童に「デスノートに名前書くぞ」発言で学校が謝罪…言葉狩りか?
2017-01-13 
 小学校の先生が「デスノートに名前を書くぞ」と児童に発言したとして、学校側が保護者に対し謝罪していたというニュースが話題になっている。発言をした30代の男性常勤講師は、校長から厳重注意を受けている。
この小学校は福島県田村市にある。市の教育委員会によると、講師は昨年11月下旬と12月上旬の授業中、集中力を欠いていた4年生と6年生の各2人に、授業用タブレットの画面に「デスノート」の表紙を表示させ、「名前を書くぞ」と発言したという。
ネットでは学校の謝罪対応への疑問が噴出。「閻魔様に舌を抜かれる」や「なまはげが来る」とどう違うのか、などの声もあがっている。弁護士ドットコムニュースの電話取材に対し、田村市教育委員会は次のように回答した。
「『デスノート』という、名前を書けば『死』に至るものを使った、『死』を連想させる指導をした、ということを問題視した。今の時代、教員に対する期待は大きい。軽はずみな発言だったと反省し、再発防止に力を入れたい」 

●いわゆる「モンペ」案件ではないという
市教委によると、本件では保護者らから強いクレームがあったわけではなく、学校が率先して謝罪をしたという。
謝罪に至る経緯は次の通り。該当の発言からしばらくたった12月27日、児童の担任教師が保護者数名と立ち話をしているときに、「デスノート」発言がちょっとした話題になった。担任はその日のうちに教頭に報告。29日に校長が講師を厳重注意し、保護者に謝罪した。 謝罪の席上、保護者から「注意というより威嚇ではないのか」といった指摘はあったものの、大きく問題視する様子ではなかったという。いわゆる「モンスターペアレント」案件ではないようだ。 学校が謝罪に至った理由は、デスノートが「死」を連想させるからだという。 「子どもたちに『生きる力』を身につけさせるのが私たちの仕事。講師本人は『閻魔様』や『雷様』『なまはげ』などと同じレベルで言ってしまったようだが、『デスノート』を用いることで、子どもたちを不安がらせてしまった」
一方で、「あれをやったらダメ、これをやったらダメという風に、教員が萎縮することは本意ではない」「報道の後、一般の方から励ましの電話もあったが、『デスノート』発言に対し、厳しい声が多かった」と、苦悩が垣間見える発言もあった。

 ●「言葉狩り」的な批判ではなく、建設的な議論を
今回の件に法的な問題はあるのだろうか。いじめなど、学校問題にくわしい舟橋和宏弁護士は、次のように話す。
「今回の発言が、刑法の『脅迫罪』に当たるかどうかですが、デスノートに名前を書かれて死んでしまうといったことは、一般的に人々が恐れるというものでもなく、刑法上の責任を負う可能性はないと考えられます。
死を連想させるということで、不適切な発言であったという意見もあるようですが、デスノートという言葉のみで、発言が不適切とするならば、それは『言葉狩り』といわれても仕方ないと思います。
現場の先生方も世代の異なる生徒とのコミュニケーションに四苦八苦しています。なぜ、そのような発言があったのか、ただ批判するだけでなく、その背景事情まで見て、より適切な指導はどうすればいいのか考えていきたいですね」
(弁護士ドットコムニュース)

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最近、そういう意味ではなかったという弁明が多いが、これは言葉狩りという物ではなく、教員が子どもに注意をする際には、別の方法があるのにも関わらず、余りにも不適切な言動を用いた指導を行っているだけの話しなのである。これを実際、見聞きしていた親からすると違和感でしかなかったという現実問題であるにも関わらず、言葉狩りだのという反論が出てしまう側の考えの方が、不安になってしまう。

何故ならば、この注意指導の中に、デスノートという言葉が用いられているがこれは、死をもたらすという意味を持つノートとして作中では扱われ作中では書かれた者に死をもたらされてしまうという物である。ただの注意されど注意の中で教員が、「デスノートに書くぞ」という言葉を使うという事は、子どもに対して死ねといった含みがあると捉えられるのが普通であると思う。またこういった事を教員が子ども達の前で行う事により、子どもたちにそういう事を言ってもいいという、前例を示してしまう事になってしまうのである。

子ども達の教育の場所で、余りにも軽いノリで教務を行っている教員がいるが、そこに責任が伴わないと子どもを学校拒否に追い込んでしまったりと最悪な結果をもたらす事があると言う事は、いい加減気が付いた方が良いと思う。どんな、中堅やベテランの教員でも、子ども感覚の軽いノリで言った言葉により、子どもが学校拒否という不登校になってしまった例は全国でニュースになっていないだけで、沢山あるのが現実であり、言った方はそんなつもりはなかったと必死に弁解と謝罪をしても、言われた側は、わざわざ酷い言葉に対し、こういったつもりで言ってないなと考える高等な手段は大人でも難しいのではないかと思う事を、子どもにやらせようとするのはいかがなものであろうかと思う。

子どもが大好きで、教員になった気持ちは理解できるが、何かズレている感覚を持ち合わせている教員が増えてきているのではと思う。そこをしっかり管理指導して行くのが、学校長を始めとする管理職や教育委員会の面々であるはずなので、しっかりと考えて行って欲しいと思う。何か起きてからバタバタと対応に追われるようであるから、問題や事件事故の連鎖が起こってしまうのである。

 

新潟県の避難者への“菌”いじめが蔓延か?@新潟県下越地方の中学校

http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20170120302905.html

福島避難生徒に「菌」下越・中1 複数からいじめ
 東京電力福島第1原発事故で、福島県から下越地方に避難している公立中学1年の女子生徒が、中学の複数の生徒から「菌」と呼ばれるなどのいじめを受けていたことが19日、関係者への取材で分かった。

女子生徒は精神的なショックを受け、昨年12月中旬からほとんど登校できていない。生徒は授業の作文でいじめを受けていると訴えたが、担当の教諭が記述を見落とし、学校側は被害を把握していなかった。学校は21日に全校生徒の保護者を対象とした臨時の保護者会を開き、経緯を説明する。

 関係者によると、いじめは1学期以降に始まった。複数の生徒が女子生徒の名前に「菌」を付けて呼び、鬼ごっこをするなどした。女子生徒が12月中旬、保護者に相談した。学校は保護者からの連絡でいじめを把握した。女子生徒は1学期に授業で作文を書いた際、いじめられていることを明かしたが、担当の教諭は最後まで読まずに採点していたという。

 女子生徒は、福島県から下越地方に避難した直後の小学校時代にもいじめを受けていた。中学校はいじめの事実関係を確認した上で複数の生徒を指導。生徒側は女子生徒の保護者に謝罪した。

 学校は新潟日報社の取材に対し、1年生でいじめがあったことを認めた上で、「詳細については答えられない」としている。原発事故で、県内に避難している子どもを巡っては、新潟市内の小学4年の男子児童が昨年11月に担任から名前に「菌(キン)」と付けて呼ばれ、学校を1カ月ほど休んでいた。

www.kahoku.co.jp

http://www.kahoku.co.jp/naigainews/201701/2017012101001655.html

 東京電力福島第1原発事故後に福島県から新潟県下越地方に避難している中学1年の女子生徒が複数の生徒から「菌」と呼ばれいじめを受けていた問題で、教育委員会が21日、記者会見し、女子生徒が昨年7月に作文で「いじめられている」と書いたのに提出を受けた教科担任が気付かず、いじめの把握が遅れたことを明らかにした。
 一方、いじめた側の生徒は避難といじめとの関連を否定し、教委は震災と結び付けたいじめではないとの認識を示した。
 教委によると、女子生徒は作文で小学校のころと中学に入ってからのいじめに言及。教科担任はすべて中学入学以前のことと誤読し、学校に報告していなかった。

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新潟県という教育風土は、子ども側は、転入生への受け入れが困難な心を持ち、教員は職務怠慢という業務の在り方。ほんの一部の人間の行いであるという事は分かってはいるが、人に対し「菌」と受け取れる言い方は、間違っていると思う。道徳教育が何も根付いていない上、家庭の中の教育も知れたレベルの環境に居ると思う。今回も子ども側の言い分が、某ユーチューバー達の名前の延長みたいな感じだったと都合の良い弁明をしているそうだが、もう中学生である以上は悪意の有無は言った本人達が一番分かっているはずだ。学校拒否の選択をしている子どもにしか分からない、辛さを学校全職員を上げ被害を受けた子どもに対し、信頼回復を行って欲しいと思う。毎日毎日、大丈夫だという思いと責任、そして、謝罪を学校全職員が、この子どもへ伝えるべきであると思う。

今回の事件様に、子ども社会の中のトラブルで多いのが、言った言わないというものがある。その仲裁で、教員は、あいまいな事には指導が出来ないからとなあなあにしてしまう。「お前ら仲良くやれ」こんな感じで終わる。しかし、ここでもし、言った言わないとトラブルになっている子ども達の仲裁に入る中で、教員側も一部始終を見ている訳ではないのは、仕方がないが、言った言わないのどちらかに白黒をつけるのではなく、子どもの両者共に「相手を不快にする言動がある事が、時に読み取れずにいる事がある」という事を教えるべきである。相手を思いやれと言われたところで、実際にどういう言葉や行動が相手を思いやるという事なのかが現実的には子どもには難しいからだ。また、不快な言葉を言われた側にも、食って掛かるやり方ではなく「相手に分かる、伝える方法」を教えるべきであると思う。

そして、教員であるが、作文という最初から最後まで読んでの評価になるはずなのだが、途中で終了というのは職務怠慢であるのではないかと思う。また、内容によっては、機会を作り何故その内容を書いたのかを聞くべきまでが教員の職務ではないかと思う。学校は、学習塾ではない。子どもを学校拒否に追い込むのが、教員の仕事ではないはずだ。しっかりと、この子どもが登校出来るまで学校全体で話し合って行くべき優先事案であると思うが、心無い学校長であれば難しい話になってしまうが。

新潟県教育委員会も重い腰を上げてないのが、よくわかる。また他の問題がニュースになってしまうだろうと予感がする。学校教員という存在意義が一体何なのかから、考えなければならないほどのレベルなのかと不安を覚えてしまう。