読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

いじめによる傷害事件で書類送検@東京学芸大学附属高等学校

 東京学芸大は二十九日、学芸大付属高校(東京都世田谷区)の男子生徒が複数の同級生からいじめを受け、骨折や脳振とうを起こしていたと明らかにした。同大は、いじめ防止対策推進法に基づく「重大事態」だったにもかかわらず文部科学省への報告が遅れるなど対応が不適切だったとして、当時の校長ら計五人を懲戒処分などの処分にした。
 同大によると、男子生徒は昨年五~九月、体育祭の練習中に転倒させられて手首を骨折したり、同級生の肩に担がれた状態から地面に落とされて脳振とうを起こしたりした。セミの幼虫をなめさせられることもあった。いじめていたのは、いずれも同学年で、同じ部活の生徒も含まれていた。「『いじり』であって、いじめではない」と話す生徒もいたという。男子生徒は昨年六月、学校が行ったいじめ調査の定期アンケートで被害を訴えたが、学校側は十分に事実確認をしなかった。保護者が昨年九月に被害を学校に申し出て問題が発覚。学芸大が調査を進め、今年三月に文科省に報告した。世田谷署は五月、傷害容疑で生徒二人を書類送検した。
 同大は当事者の学年やいじめをした生徒の人数などは明らかにしていない。関係者によると、男子生徒は不登校になっており、学校外で個別指導を受けている。

学芸大の出口利定(としさだ)学長は二十九日の記者会見で「認識不足で報告が大幅に遅れ、被害生徒や保護者を苦しめることになった」と謝罪した。

東京学芸大学附属高等学校|トップページ

____________________________________________________________________

 

「重大事態」の理解が教育関係者の理解度が全く無い。死なないと重大事態にならない訳ではない。身体にケガを負っている時点で「重大事態」の判断付けないのは、おかしい話で「認識不足でした」というレベルの低い学校関係者が、この有名学校に従事していた話は、本当に恥ずかしい。高等学校は、義務教育ではないのだから、その事件により学校に行けない、不登校に発展している事、学年が三年生という大事な時期に対しての学校側の責任の取り方は、半端なものでは済まされない。ましてや、いじめアンケートや保護者からの訴えが出てから一年以上もの間の時間は、この児童と保護者から奪った状況であった事にも責任をもって欲しい。失った時間は、二度と戻らない。また加害児童が、傷害容疑で書類送検をしたことに対しての警察の対処は正しいと思う。たとえ未成年であっても他人を傷付けた責任は負わなくてはいけない事は、社会のルールとして常識である対応だ。

いじめをやり得るものはなんだろうか?

どこの誰の立場をとっても何も得るものはないです。むしろ、失うものは計り知れないほど沢山ある。それは、被害者が一番大きな傷を負う事には変わりないが、加害者もいじめを行っている時に、自分の将来に影響を及ぼす、書類送検される事態に発展すると微塵も思っていない。傍観者もいじめを目撃していた人は沢山いると思う。そして、いつ自分に降りかかるかと怖かった上、なぜこんな事が、この学校であるのかと苦しかったと今でも感じていると思う。また学校に関しても、関係していた職員自体すらも、自分が処分されてしまう事や学校も学校の品位や評価を落とし記者会見で公で説明する事になってしまうとは微塵も考えてなかった事などが起こるのが、いじめの絶望的な恐ろしさなのだ。苦手意識は、嫌なだと拒否意識に変えてはいけない。子どもたちには、全く自分と同じ環境や思想の人間は絶対にいない事をもっと自覚してほしいと思う。大人は、いじめという訴えを安易に受け取ってはいけない。いじめの相談を受けた・知った瞬間から“重大事態”として動かなければ、関係者(被害者・加害者・傍観者・その場所の大人側関係者)全員が破滅してしまうのです。

 

  「教育は、人と人とが触れ合うなかで互いに深い愛情と理解と信頼に充ちた関係をつくりだしているとき、その最大の効果を発揮する」と言います。本校の誇れることは、この言葉を日々の教育活動のなかで具現化しているところにあります。生徒と教師、生徒と生徒、さらには保護者と教員とのすばらしい出会いのなかで、生徒自身が今何をなすべきかを自覚することによって、自分自身をより高めることのできる学校です。

 

この上の紹介文、学芸大附属高校の本校の教育についてからの抜粋です。

ホームページ上で、公言しているならしっかり出来ていると思わせる文章も今回、恥ずかしいものになっている。この文章通りの学校になるよう信頼回復をするのに、簡単ではないが、いじめ防止に対しての取り組みの最先端を行くくらいの尽力を尽くして欲しいと思う。