子供のSOS受け止める大人の責任@福島県双葉町教育長

■「子供のSOS、受け止める責任」
 東京電力福島第1原発事故で福島県から自主避難した生徒が、転校先でいじめを受けていたことが相次いで発覚した。これを受け、双葉町などの教育委員会は、いじめに遭った子供たちの相談に応じると呼び掛けている。子供や保護者にメッセージを送った双葉町教育委員会の教育長、半谷淳さん(63)が今回の取り組みに込めた思いを語った。 (野田佑介)
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 「避難生活で子供たちの心は不安定になっている。SOSをしっかり受け止めてあげることが大人の責任なんです」
 横浜市では、中学1年の男子生徒が加害児童から原発事故の賠償金があるだろうと言われ、総額で150万円ものお金を脅し取られた。さらに、黴菌(ばいきん)扱いされたことから放射線の影響だと強い不安を覚え、抵抗できなかったという。
 半谷さんはこのニュースを知って対応を検討していたところ、避難先の学校に通う双葉町の小中学生の保護者から「同じようないじめを受けていた」と伝えられ、今回のメッセージを出すことを決めた。
 「(連絡があった)保護者から『誰に相談していいのか困っていた』といわれ、相談できるところがある、という安心感を持ってもらいたかった」
 その後、新潟市の小学校で担任教諭が避難児童の名前に「菌」を付けて呼んでいたことが明らかになっている。半谷さんは言う。
 「避難した人に対する心ない行為は、子供の間だけで起こっていることではない」
 〈税金を払っていないのだから、ごみを出さないでほしい〉〈賠償金をもらっているから、仕事もしないでおいしいものを食べている〉〈地元の住民に迷惑を掛けている〉
 半谷さんは、避難区域となった市町村などから避難した人が、地元の人たちからこうした口さがない言葉を投げかけられたことも耳にした。半谷さん自身も県内のほか、茨城県や埼玉県などを転々。今後の生活への不安を感じていた。
 「子供たちは賠償金や放射能のことなど、分からない方が圧倒的に多い」
 半谷さんは、今回問題になったケースも大人の発言や行動に起因しているところが大きいとみる。
 「横浜市に避難した生徒は勇気を出して『助けて』と訴えた。震災でたくさんの人が犠牲になったことが一生忘れられない体験になり、『僕は生きる。頑張るよ』という決意を発信した。そんな子供の思いを大人がしっかり受け止めないといけない」
 双葉町は町全体の96%が帰還困難区域に指定され、町内での生活再開の見通しは立たない。それでも、メッセージには子供たちを守り、支えていくという意味を込めた。また併せて、県内外に避難している小中学生がいる305世帯に同じ内容の文書を送った。
 「みなさんが強く、たくましく未来に向かって前進できるよう全力でサポートしていきます」

川内村教育委員会も、双葉町教育委員会同様に、いじめと疑われるケースがあれば、相談に応じるとする内容の文書を、県内外の避難先に通う小中学生がいる54世帯に送付した。また福島県は、避難者支援団体が全国25カ所で運営する生活再建支援拠点のほか、電話相談窓口「ふくしま24時間子どもSOS」などに連絡するよう呼び掛けている。

教育委員会 教育総務課| 双葉町公式ホームページ

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震災によって被災した地域は、子どもたちの方が強いのかも知れないと改めて感じた。そして、震災を直接的に知らない子どもは弱いのだと思う。とにかく、何か違うと感じるところが大きい。被災した子供たちは、直後、様々な家庭環境の変化や街の変化を直に感じて過ごしてきた。中には家族を亡くしたり友達を亡くしたりと本当に辛く悲しい現実で生活をして来ているから、人との繋がりに対しても冷たい言葉を浴びても頑張って生活を送って来たのだと思う。横浜市であってはならない事態が、子ども間だけではなく学校・教育委員会と幅の広い中で酷い扱いを受けて、死んではいけないと世の中に発信したのは、避難者の子どもに対してだけではなく、同じように苦しんでいる子どもにも伝わって勇気を与える事になっているのは、本当の強さを言葉の中から感じる事が出来るからではないだろうか。大人だって、原発があのような惨事になり、今後どうなって行くのかも不安は誰にでもあると思うが、その恐怖を避難してきた人に向けるのではないのは大人なら分かる話である。むしろ、そういう子どもが自分の子どもの通う学校に転入してきたのなら、仲良くしてあげようねと子どもに働きかけるのが正しかったのではないだろうか?こそこそと小さく批判をしているつもりでも、子ども達には伝わってしまっている事を認識して欲しいと思う。今回の横浜市原発避難者いじめがきっかけになってしまったが、社会に対し大きな問題提起を起こしたと思う。しかし、その問題提起のきっかけが子どもの教育を奪ってしまったという事件だという事は良く考えて行かなければならないと思う。